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種を蒔く人

子どもの読書のことや、公共図書館、学校図書館の役割について斜め方向から考えます。

「考える力」はどう育つのだろう?ーストーリーテリング(耳からの読書)についてー

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学校行事において伝統を重んじ誇りを持つことは、

連体感を強め、将来においては自信にもつながると思います。

ところが、その時々において、

必ず陳腐になっていくものさえも、捨てきれないのでは、

大切なはずの「伝統」すら輝きが鈍るってもんですよ。

「伝統」って、練磨されてこその「伝統」だとは、思いませんか?

それなのに、変化を拒む大人が、

「伝統」という言葉を言い訳にして、考えることから逃げている

ということを前記事にかきました。

 

 

yo-mite.hatenablog.com

 

 

考える若者へ託すしかないのか

 

そうこう言っていたら、こんなニュースが飛び込んできました。

 

www.asahi.com

 

 

 

今、さまざまな社会問題が山積みになっています。

複雑すぎて、私などには手に負えません。

それでも、

私たち大人に求められているのは、

自分で考えることではないでしょうか。

 

 

からすのパンやさん (かこさとしおはなしのほん (7))

からすのパンやさん (かこさとしおはなしのほん (7))

 

 

だむのおじさんたち

だむのおじさんたち

 

   

か わ (こどものとも絵本)

か わ (こどものとも絵本)

 

 

 

加古里子さんは、『からすのパンやさん』でお馴染みの絵本作家ですが、

東京大学工学部を卒業され、元々は工学博士であり、技術士です。

民間の化学会社研究所に勤務しながら、

『かがくのとも』に代表される科学絵本を沢山書かれた、

科学絵本作家の草分け的存在です。

 

 

その加古里子さんが次のようにおっしゃっています。

 

www.tokyo-np.co.jp

 

 

軍国少年の私は飛行機乗りになりたかった。大人の言うことを信用しきって現実を見ていなかったんです。
 敗戦で、大人たちは信用ならないと思った。多くの大人たちは勉強もしなければ、問題を解決しようともしない。それではもう未来はないと思って、子どもたちに(大人を妄信するという)私のような過ちはしてくれるなと訴えて生きてきました。
 今も似ています。大人たちが過去から学ばず、苦しいこと、嫌なこと、つらいことを後世に残そうとしている。原発で出た使用済み核燃料を(無害になるまでの)十万年置いておくと言うけれど、十年先だって分からないのに、十万年なんて…。偉い大人が真剣に考えて(使用済み核燃料を処理する)土地の皆さんを説得するか、原発を止めるかしないといけないけれど、突き詰めて考える姿勢が一つも見えない。

 

 

 

f:id:yo_mite:20160228132635p:plain

 

これは、若者たちへ向けて、

「未来を見て、ちょっとずつでも良い方法はないか考えて進んでほしい」

というメッセージです。

 

 

もうね、大人たちでは難しいのでしょうね。

シガラミも多いのか、それがそんなに大切なのか、

わたしゃ、シガラミを持たないただの主婦だもんで、よく分かりません。

 

で、89歳の加古里子さんは、

もう、今の大人たちに言うのは諦めて、

若者たちに向けてメッセージを送っているのでしょうね。

 

 

考える若者を育てなくては

 

そこで、おばちゃん達は、

目の前でめきめき育っている未来の若者たち(子どもたち)を、

しっかり育てなくては!

と思うわけです。

 

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「心」を育てるって、どいうこと?

「最近の子どもは心が育っていない」とずっと言われ続けています。

では、「心が育っていない」って、一体どういうことなんでしょう?

 

相手の気持ちに心を寄せられない。

心配りや気遣いができない。

自分勝手。空気を読んで自分の考えを持たない。

 

いろいろ考えられます。

これは、自分で考える力が育っていないことではないでしょうか。

では、「考える」とは、どういうことなんでしょう。

 

 

「考える」って、どいうこと?

 

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デジタル大辞泉先生によりますと、

 

知識や経験などに基づいて筋道を立てて頭を働かせる

 

とあります。

 

つまり、頭の中に筋道(ストーリー)を描くことです。

それは要するに、「想像する」ことですよね。

だから、「考える」ためには「想像力」は無くてはならないものです。

 

ていうか、

知識や経験と想像が共鳴しあって得るものが「考え」ではないかと思います。

 

 

「想像力」って、なんだべ?

「想像力」とは

Wikipedia先生によりますと、

 

心的な像、感覚や概念を、それらが視力、聴力または他の感覚を通して認められないときに、作り出す能力である。

 

 言いかえると、

 

「経験に意味を、知識に理解を提供する」力ということですね。

 

 

例えば私たちは日頃、他人の話を聞いて理解するために、

自分の経験になぞらえながら、相手の体験や気持ちを理解をしようとします。

それが、自分の経験に及ばないことだと、「想像を絶する」とも言います。

つまり、経験が無いことに対しては、

大いに想像力を使わなくては理解ができないのです。

だから私は、

「考える力」と「想像力」はいつも二人三脚のようにして育つものと思います。

 

では、「想像力」をつけるにはどうしたらいいのでしょう。

ほとんどの人が口を揃えて、「本を読むこと」と言うのではないでしょうか。

そして、「人の話をよく聞くこと」とも言うでしょう。

 

 

ストーリーテリングで昔話を語る理由

 

昔からされている図書館の児童サービスに

「ストーリーテリング」というものがあります。

ストーリーテリングとは、物語を声だけで話して聞かせるものです。

「おはなし会」に組み込まれていたり、

ストーリーテリングだけの「おはなし会」もあります。

 

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余談ですが、ビジネスにおいてのプレゼンや商談の場にも、

ストーリーテリングは大切とされています。

例え話などを用いて、伝えたいことに物語性をもたせて話すことで、

相手によく伝わるということです。

 

 

しかし、「おはなし会」でするストーリーテリングは、子ども相手です。

だから、最も耳から聴いてイメージしやすい「昔話」を語ることが多いです。

昔話というのは、もともと文字ではなく、

ことばで伝え、耳から聴いて、また伝えるようにして、

人類が大事に過去から現代に遺してきた伝承文学です。

文字をまだ読めない子どもは、

文字をもたない古い人類と同じように、昔話を楽しめるのです。

 

 

私たちは、子どもたちに、

文字になった文学に触れる力がつく前から、

声で伝える文学を届けたいと思っています。

また、文字の文学を楽しめるようになった年齢の子どもたちにも、

やはり、声で伝える文学を届けたいと思っています。

それは、聞くことで、読むことから開放されて、

イメージすることに集中してほしいからです。

そして、

物語の面白さも悲しみも意外性も、一緒に疑似体験することで、

子どもたちに「想像する力」を育み、

自分で考える力をもって大人になってほしいと思っています。

 

そんな願いから、

声だけで語る「ストーリーテリング」を大切にしているのです。

 

 

機会があれば、

大人の方にも、ストーリーテリング(耳からの読書)、

体験してもらいたいですね。

昔話は、昔は大人のものでした。

大人はその楽しみを忘れてしまい、

いつもの間にか、子どもだけのものになってしまいましたが。。。